憧れの剣戟スター「大河内傳次郎」
佐々木 亜希子



活動弁士の仕事をするようになってからとくに無声映画に多く触れるようになった私が、今一番心揺さぶられているのが、大河内傳次郎である。阪妻も嵐寛も好きだが、無声映画時代を彩った時代劇スターの中でも、若き日の大河内傳次郎には、本当に、恋心を抱いてしまいそうなくらい、ときめきを感じてしまう。
何が好きなんだろう、と考える。男臭さ、放たれる生々しいオーラ。それが好きなのかもしれない。ここに、その人物がいるような気がしてしまう。遠い存在の銀幕のスター、という感じではなく、その役柄、人物にぐぐっと惚れさせてくれるというのか。とにかく、匂い立つような男の色気がある。

大河内傳次郎は、1898年(明治31年)福岡県上毛郡大河内村生まれ。中学時代に大阪に出て大阪商業学校を卒業。サラリーマン生活を経て、新民衆劇学校の研究生になったのが25歳の時。劇作家志望だったが、沢田正二郎のもとで劇団の脚本を書きながら、俳優としても出演するようになる。当時急速に成長していた映画の世界に入ったのは1926年。28歳の時という、わりと遅いスタートである。にもかかわらず、年若き先輩俳優たちを凌ぎ、彼はあっという間にスターダムに踊り出た。偉大なる時代劇映画作家、伊藤大輔との出会いが、彼の人生にとってどれほど大きかったか。
偉大な才能同士の運命的な出会いが、そのお互いの才能を開花させるものである。同じ年に生まれ、同じ年に日活に入社した二人。脚本家から監督になったばかりの伊藤大輔が、傳次郎の天性の資質を見抜き、大役を与え、二人は、有無を言わせぬ圧倒的な演技力、存在感と、その演技を引き出す力強い演出によって、多くの映画ファンを虜にし、多くの傑作を生み出していく。コンビ第一作「長恨」撮影初日、「新入りめ」と二人を煙たく思っていた先輩諸氏が、傳次郎の強靭な演技とそれを追いかける伊藤の長い長い移動撮影で度肝を抜いた、というエピソードなどを読むにつけ、さもありなんとその状況を思い浮かべほくそえんでしまう。
64歳で亡くなるまでの生涯、大河内傳次郎の出演した映画は280本という。ずっと主役、大役ばかりだったわけではないし、当たり役の「丹下左膳」にしても、後年の殺陣の切れは、残念だが、若い頃のそれとは比べ物にならない。だが、どんな役柄であっても、眼光の鋭さは人一倍だし、風格は誰にも劣らない。相手を斬る前の、何かを口にする前の、一瞬の目の動きや沈黙に、観る方がくぎ付けになってしまうのである。それだけに、最も光彩を放っていたといわれる日活時代の作品、特に、伊藤大輔監督、唐沢弘光撮影の黄金コンビによる作品がほとんど残っていないのが、なんとも口惜しい。大河内、伊藤が日活時代に組んだ作品30本のうち25本が無声映画時代のもの。残っていれば、私にとっては無声映画に携わる楽しみがもっと多かったことになる。当時の大河内の乱闘集やスチール写真を見るだけでも、ドキドキしてしまうのに。とても残念である。
例えば、大河内、伊藤、唐沢が組んだ作品の中で、完全な形で見られる稀有なもの「御誂治郎吉格子」(‘31)。この鼠小僧治郎吉などは、大盗賊なのに、なんと魅力的なことか。惚れた女と惚れられた女の間、巷に冷血漢と知られる男の情が揺れる。傳次郎演ずる鼠小僧は、自分が惚れた女にはだまって力になってやり、自ら分不相応と身をひく。自分に惚れた女にはそれ以上の情が湧かないように突き放す。つれないその態度、ぶっきらぼうな言葉と表情。だがそれにさえ惹かれてしまう。大盗賊でありながら、真の悪党を許さず弱きをさりげなく救う、なにか、男の美学を体現しているような気さえする。女に、命を捨てさせるほど惚れさせる男。その女の心情、行動を納得させるだけの、傳次郎演じる治郎吉はいい男なのである。
日活復帰第一作「沓掛時次郎」(‘29)の傳次郎も魅力的である。渡世人であるが故に斬り捨てた男の妻と子供を支えて旅をする時次郎は、なにかとても美しい。夫を殺した男なのに、情が湧き、愛するようになってしまう、そんな女の気持ちに、またもや共感させられてしまう。強く、潔く、情に厚く、艶っぽく、全てを覚悟して、大事なものを守り抜く。そんな、男の尊厳、苦悩、哀愁、美学がにじみ出る役が、実にはまる役者が大河内傳次郎なのだ(かといって傳次郎の演技力や魅力はそれだけでなく、喜劇的な役も非常に巧くこなす素養があったのは、周知の通り)。
ある意味、それは、大河内傳次郎の信条や生きざまの表れだったような気がするのである。読書や読経を好み、酒も煙草も博打も女もやらなかったという傳次郎。彼の中には、静謐と躍動が、喜怒哀楽が、芸術的感性と大衆的感性とが、非常に豊かに、バランスよくあったように思える。そして、その中心に、思想、信仰、求道心のようなものが。そう、彼の手からなる書や禅画の魅力的なこと! 個性的でありながら、芸術性と大衆性を具えている、スクリーンの中の彼の姿と通じるものを感じるのは私だけだろうか。形や表現手段は違えど、同じ人間の表出であることに変わりはないと思わせるのである。彼が後年、時間と財を費やした庭園にしても、おそらく同じであろう。生前の彼が言ったという言葉―私は他の俳優の人気というものにはちっとも恐れないが、その俳優が稀にみる人格者であった場合、内心恐れるー。人格者であることを一にした彼だからこそ、語り継がれるだけの価値を築き上げる事ができたのだと思わずにいられない。

(2003年シネマ・エッセー集「映画と私vol.6 〜私の好きな映画スター〜」に寄せて。抜粋)


 
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